ボランティア拒否宣言
皆さん、『フクシる』をご覧頂き誠にありがとうございます。
今回は福祉に関することを見てきた中でも、衝撃を受けた一つでもある「ボランティア拒否宣言」について紹介したいと思います。
ボランティア拒否宣言とは?
30年以上前のようですが、大阪の機関紙に寄せられた詩です。詳しいことは分かりませんが、車椅子を使用されていたようです。この詩は、ご本人様とボランティアの方々との関わりの中から生まれたものと思われます。しかしながら、ボランティアという言葉だけではなく、介護スタッフや相談員、行政職員や多岐にわたる人々に置き換え重く受け止める必要があるでしょう。
実際のボランティア拒否宣言
ボランティア拒否宣言/花田えくぼ
それを言ったらオシマイという前に 一体私に何が始まっていたというの
何時だってオシマイの 向うにしかハジマリは無い
その向こう側に私は車椅子を漕ぎ出すのだ
ボランティアこそ私の敵 私はボランティアの犬たちを拒否する
ボランティアの犬達は 私を優しく自滅させる
ボランティアの犬達は 私を巧みに甘えさせる
ボランティアの犬達は アテにならぬものを頼らせる
ボランティアの犬達は 残された僅かな筋力を弱らせる
ボランティアの犬達は 私をアクセサリーにして街を歩く
ボランティアの犬達は 車椅子の蔭で出来上っている
ボランティアの犬達は 私を優しい青年達の結婚式を飾る哀れな道具にする
ボランティアの犬達は 私を夏休みの宿題にする
ボランティアの犬達は 彼らの子供達に観察日記を書かせる
ボランティアの犬達は 私の我がままと頑なさを確かな権利であると主張させる
ボランティアの犬達は ごう慢と無知をかけがえのない個性であると信じ込ませる
ボランティアの犬達は 非常識と非協調をたくましい行動だと煽りたてる
ボランティアの犬達は 文化住宅に解放区を作り自立の旗を掲げてたむろする
ボランティアの犬達は 私と社会の間に溝を掘り幻想の中に孤立させる
私はその犬達に尻尾を振った 私は彼らの巧みな優しさに飼い慣らされ 汚い手で顎をさすられた
私はもう彼等をいい気持ちにさせて上げない
今度その手が伸びてきたら 私は きっとその手に噛みついてやる
ごめんね 私の心のかわいそうな狼 少しの間 私はお前を忘れていた
誇り高い狼の顔で オシマイの向こう側に 車椅子を漕ぎ出すのだ
花田えくぼさんの強い批判のメッセージとは
込められた確かなメッセージ、それは花田えくぼさんにしか分かりません。
勝手な私の解釈、これもまた花田えくぼさんに対し失礼なことになるかもしれません。感じたことは・・・
ボランティア(その他の様々な支援者)側の自己満足ではなく「自立(自律)」とは何か?を考える。これが社会に伝えたい一つのメッセージではないかと思います。
「ボランティア(支援)をする」ことは自分を美化するものではない。もちろんボランティアの方々にも悪気があったわけではない。しかし、無意識のうちに支援する立場や、支援することが自分を格上げし飾り付けされることへのズレた満足感を得ていたとなれば、「自立(自律)」を置き去りにされた本人から強い批判が生じるだろう。
こちらの書籍でもボンラティア拒否宣言について解説されています。