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「生命尊重」と深沢晟雄

「生命尊重」と深沢晟雄

「福祉元年」と呼ばれる1973(昭和48)年、日本では老人医療無料化制度が導入され、70歳以上の高齢者は医療費が無料となりました。この社会保障が手厚くされた背景には、岩手県旧沢内村の村長が「生命尊重」を理念に、「豪雪」・「貧困」・「病気」に命をかけて闘った物語がありました。

岩手県旧沢内村とは?

沢内村の地勢

沢内村は西側に秋田県仙北郡と接する、奥羽山脈の中山間盆地に位置する。8割以上森林や山地で、中央部を北から南へ和賀川が流れています。

沢内村の産業

江戸時代までは、稲作と畑作が中心でした。
明治時代には富国強兵策により鉱物資源調査が行われ、金鉱・銅鉱・鉄鉱が発見され開坑していきました。
夏は、涼しい気候を利用して養蚕も行われるようになり、牧牛や養鶏にも取り組みました。

沢内村の厳しい生活環境

沢内村はその昔、豪雪地域で多病多死に加えて貧困の村として、全国の中でも特に厳しい生活環境でした。新生児の死亡率は特に高く、1000人の新生児が生まれると、80人が無くなる状況にあったと言われています。

深沢晟雄さんとは

出典:及川和男.村長ありきー沢内村 深沢晟雄の生涯.れんが書房新社.2008年

旧沢内村の村長

深沢晟雄(まさお)さんは、岩手県にあった旧沢内村(現在は西和賀町)の元村長です。沢内村は豪雪・貧困・多病多死が大きな生活課題でしたが、「生命尊重」の理念を基に行政を推進し、多くの住民の命を救ったのが深沢晟雄村長です。1961年には、全国の自治体で初めて0歳の医療費を無料にし、さらに全国の自治体で最初に乳幼児死亡率0%という偉業を達成しました。

官僚にも屈しない信念

「豪雪」・「貧困」・「多病多死」の3悪と闘い奔走した深沢晟雄さんは、「生命尊重」の理念から高齢者の医療費無料化を立案しました。ところが、厚生官僚は「国民健康保険法に反すると」言って医療費無料化を阻みました。
しかし、深沢晟雄さんこう反論しました。
「国民の命を守るのは国の仕事だが、国がやらないなら私がやる。国はあとからついてきますよ。」

深沢村長の想い

「生きていてよかったと思える村にしたい」。「この村に生まれてよかった」ではなく、「この村で生きていてよかった」と思える村が理想だと、深沢晟雄さんは考えました。生を受けた村民が、穏やかに生活し、健やかに老いていく。そのような村にしていくために何をするべきかを考えたといいます。

「乳児死亡率をゼロにしたい」

深沢晟雄さんは「乳児死亡率ゼロ」というとても大きな目標を掲げました。
この大きな目標は、お年寄りを大切にしたいという気持ちにもつながるものでした。なぜなら、お年寄りが幸せに生きている村こそ、子供を大切に育てることができると考えていたからです。

「お年寄りを手厚く保護したい」

貧困も大きな課題であった沢内村では、父・母ともに一年中働きづくめでした。そうなると、乳児の面倒を見るのは祖父母ということになります。その祖父母たちが安心して生活できることが、全村民の安心につながると考えました。

旧沢内村の「生命尊重行政」

旧沢内村は、1962(昭和37)年に全国で初となる乳児死亡率0%を達成しました。
「村民の誰も取り残さない」という風土と、村民の主体性と共生の理念は、現代の福祉や保健衛生の目標の先を歩んでいたと言えるかもしれません。

・除雪を含めたインフラ整備
・高齢者または乳児の医療費の無料化(全国初)
・保健婦の訪問活動(妊婦・乳幼児の健診)
・医師を課長とした健康管理課の設置
・20歳以上の血圧測定の徹底

旧沢内村の取り組みは単なる医療費無料化でも無ければ、「無料」という名を政治利用したものでもありません。「人命の格差は絶対に許せない」という思いで、予防・治療・生活環境の改善に取り組み、地域包括医療を実現させたのが旧沢内村の「生命尊重行政」だったのです。

・長寿化
・国民健康保険の医療費の減少
・自殺の減少
・健康意識の向上
以上の効果は村民の生きるエネルギーを活発化させました。

深沢村長の最期

「胃がんとの闘病」

深沢村長は体に異変を感じ、診察を受けると食道がんが見つかった。深沢村長は地域医療の発展に力を注ぐも、当の本人は医者嫌いだったと言われている。昭和39年に秋田県横手市の病院で手術を受け、療養生活を送りながらも一時的な公務は行った。

同年冬、福島県立医科大学附属病院に再入院。治療をするも昭和40年1月28日、肺炎のため永眠された。享年59、村長在職のままの最期であった。

「1,000人を超えたお出迎え」

深沢村長のご遺体を乗せた車が沢内村に到着したとき、吹雪の中なんと1,000人を超える人たちが沿道に列になって出迎えた。村長がいかに慕われていたかということを示しています。

中には孫に言い聞かせながら手を合わせる人もいた。
「お前の命を救ってくれた人だ」と・・・。

語り継がれる旧沢内村の「生命尊重」

現代にも「生命尊重」を

旧沢内村の深沢村長時代の「生命尊重」は、命に対する意識が歪んだ日本でも再考する必要があるかもしれません。旧沢内村の医療費無料化から60年以上が経過した今、「生命尊重」の理念は現代にまで様々な影響を与え、これからも大きな影響を与えていくことになるでしょう。

深沢晟雄資料館

出典:西和賀観光協会公式サイトにしわが旅

岩手県西和賀郡西和賀町には深沢晟雄資料館があります。
全国に先駆けて乳児と老人の医療費を無料化実現し、我が国初の乳児死亡率ゼロを達成した旧沢内村の故深沢晟雄村長の精神に学び、その業績を後生に伝えようと整備された資料館です。

所在地:〒029-5614 岩手県和賀郡西和賀町沢内字太田2地割68
利用時間:9:00~17:00
定休日:毎週火曜日(祝祭日の場合は営業)
電話番号:0197-85-3838

 

参考文献
(1)及川和男.村長ありきー沢内村 深沢晟雄の生涯.れんが書房新社.2008年
(2)鈴木るり子.生命行政の検証ー岩手県旧沢内村(現西和賀町)の老人医療費無料化が村におよぼした影響ー.2009年8月

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